子供時代から青春「時代の昭和20年「後半から昭和40年代にかけての遊び、おもちゃ、生活道具、グループサンズをはじめとした音楽、懐かしい屋台、食べ物などのレトロの思い出を紹介。

街頭テレビに夢中でした

我が街に該当TVが設置されたのは、昭和28年末か昭和29年春頃だとおもいます。
そのときは初めてTV放送を見ました。
プロレスの放送に街頭TVの前は人であふれていました。
力道山、遠藤幸吉、シャープ兄弟とのタッグマッチに見入りましたね。
60分1本勝負は力道山が悪役の外人レスラーに額を、隠し持った凶器で傷つけられ血を流しながらも最後は空手チョップでやっつけるヒーローでした。
子供心に不思議に思ったのは放送時間内に勝負が付くことでしたね。
その他のレスラーにはル・テーズ、ボボブラジル、デストロイヤー、ブラッシー、東富士、豊登などのレスらがおり、レフリーはTシャツをいつも破られていた沖識名でした。
男の子供たちの間にプロレスごっこが流行り、力道山の「空手チョップ」の真似をしておりました。
当時のテレビ放送は、現在のように1日中放送されずに、放送時間が決まっていて朝、昼、夜それぞれの数時間でしたね。
放送時間近くになると街頭TVの前に人垣ができましたね。

下駄の子供がほとんどでした

今の子供たちに偏平足が多いそうです。
生活が便利になり、素足で歩くことが少なくなったことや、あわない靴やすり足で歩くため指先で地面を蹴らないのが主な原因のようです。
昭和30年代の私の子供のころは素足に下駄履きがほとんどでした。
当時の流行歌にも「下駄を鳴らして」の歌詞がいくつか見受けられましたね。
ほとんどの子供が学校への行き帰りやお出かけのときはズック靴で、それ以外は素足で、冬は足袋を履いて下駄で遊んでいました。
母も下駄で買い物に出かけたり、よそ行きのお出かけは、新しい塗り下駄だったりでしたね。
雨の日や雪の日の女性は下駄のつま先にカバーをつけて、濡れないようにしていました。
下駄を使った遊びもよくやりましたね。
「あした天気にな〜れ」といいながら、片方の下駄を足から放り投げて、下駄が裏側だと「雨」、表側だと「晴れ」で横になると「雪か曇り?」(記憶が曖昧ですみません)となるという簡単な遊びです。
履いていると下駄にも個人の癖が現れ鼻緒と足指のなじみ方や下駄の歯の減り具合などにそれぞれの特徴が出てきたものでした。
私は素足で下駄を履いて遊び歩いたおかげで、土踏まずのアーチはしっかりとできて偏平足ではないですよ。
今は下駄も年1回正月の和服のときに履くだけで、下駄箱の中で寝ていることが多いです。

タグ:下駄 偏平足

古い丸型ポスト

200703231543.jpg丸型ポストを見つけた
ウオーキングで市街地の路地を歩いていたら、現役の丸型のポストを発見しました。
鉄製で壊れにくい、赤い色で目立つ、円筒形で容積も大きい丸型ポストです。
懐かしさとともに、現役で使われているのがうれしくなり携帯で写真を取りました。
我々の子供の頃の郵便ポストといえばほとんどが丸型ポストで、あちこちで見かけましたしたが、現在は金属製の箱型(角型)をしたポストに取って代わられていますね。
ポストは正式には郵便差出箱というのですね。
丸型ポストというのは愛称で正式には「郵便差出箱1号丸型」といういかにも役人が考えそうな野暮ったくて堅い感じですね。
この丸型ポストは1901(明治34)年に,東京日本橋に赤色・丸形・鉄製の郵便ポストがはじめて試験的に置かれたようです。
そして現在使われている丸型ポストは1949(昭和24)年に登場し、昭和30年代に全国各地に設置されましたが、1970年(昭和45)以降は製造されていないようです。
その後は撤去されて箱型に変わっているのですね。
丸型ポストは、葉書や封書を投函すると下に落ちた時に「ポト〜ン」と音がして確かに投函したという実感がありましたね。

タグ:丸型ポスト

いがぐり頭の子供達

いがぐり頭の子供たち
丸刈り(坊主刈り)の柔道少年の活躍を描いた
「いがぐり君」という柔道の漫画がありましたね。
S20年代後半から30年代前半の小学生のころはクラスの
男の子のほとんどがいがぐり頭でした。
当時は ほとんどの家庭でバリカンがあり、父親か
母親が庭先か縁側などで頭を刈ってくれましたね。
我が家でも散発代(今ではほとんど死語ですね)を節約
する為に私と弟の頭は父か母が刈ってくれました。
庭先に椅子を出して坐り、首に手拭を巻き、その上に
風呂敷のようなボロ布をかけて、時々バリカンが
切れなくて髪の毛をひっぱて痛かったのを憶えています。
当然いがぐり頭の丸坊主のいがぐり頭です。
女の子は前髪を額におろして 切りそろえ、後ろ髪も
襟元で水平に切りそろえたおかっぱかお下げが多かった
ようでしたね。

昭和30年代初めの給食の思い出

小学校の給食の思い出

食糧難がまだ十分に解消されていない昭和20年後半から30年前半の小学生時代は「食べ物を残すのはもったいない」の精神で育てられましたね。
学校の給食は学校へ行く楽しみの1つでした、毎日アルマイト製?の皿1つとおわん2つが入った給食袋をもっていったものでした。
当時のスキムミルク(脱脂粉乳)は、けっしてうまいものではなかったですが、女の子のように残すことはなかったです。
コッペパンとスキムミルク(脱脂粉乳)と鯨の竜田揚げなどのおかず1品が給食の、定番メニューでした。
時々コッペパンにジャムやピ−ナツバターが塗ったのやコッペを油で丸ごと揚げて砂糖をまぶしたものがでたときは大喜びでした。
白い布を頭にかぶり、白いマスクをして、白い上着を着て給食当番が学校の調理場から教室まで運び、一人一人に配って歩いたのでした。
給食当番のときは役得で自分の分や好きな女の子に多くよそったりしたものでしたね。
今もたまにスーパーなどでコッペパンを売っているのを見ると、懐かしいとともに甘酸っぱい感傷を感じますね。
タグ:給食

冬の遊び「おしくらまんじゅう」

先日幼稚園の年少さんの孫が遊びに来て、講談社のCD付き たのしい手あそびうたのCDを一緒に聞いていたら「げんこつやまのたぬきさん」、「いとまき」などとともに「おしくらまんじゅう」の歌を聞きました。

懐かしいですね。
昔、私達が小学校の頃、冬の寒い時に「おしくらまんじゅう」と言う遊びをよくしたものでした。
皆が集まって「おしくらまんじゅう、おされて泣くな、」と大きな声で言いながら、何人もの子どもたちが体を互いに押し合って、元気よく遊びました。
おし合っていることで体が暖かくなったものでした。
この遊びは、何のルールもありません。
大勢で,ひとかたまりになって,押し合いへし合うだけの遊びです。
道具もいらない、場所も要らない、人が5、6人〜10人位いればよい遊びです。

歌詞は
おしくらまんじゅう おされてなくな
あんまりおすと あんこが出るぞ
あんこが出たら つまんでなめろ

もともとは勝ち負けを争うものではなく、元気いっぱいに力を出し合うことを楽しむ遊びですが変わりバージョンとしては。
地面に円を描いてお尻だけでおしくらまんじゅうをする、円から押し出された人が負け。4〜5人いればできますが、10人ほどいた方がより楽しいです。
広く安全な場所で、背中合わせに丸く集まって、円の中心に向かって押し合います。
その円から押し出された人が次々抜けていき、最後の一人になるまで争うというやり方です。
タグ:昔の遊び

糸巻きタンク(戦車)

1歳になったばかりの孫娘を預かり一緒に「アンパンマンのおうたとてあそび」のビデオを見ていました。
孫はリズムにあわせて体をふり手ぶりをまねしたりしておりました。
その歌の中に糸巻きの歌があり「いとまきまきいとまきまき、ひいてとんとんとん」という歌ですね。
昔からある歌ですよね。

いとまきというと思い出すのは、小学生のころ良く糸巻きのタンク(戦車)をよく作って遊んだものでした。
母が足踏みミシンに使った糸巻きを、取って置いてもらって作りました。
作り方は簡単でしたね。
@糸巻きの両端の車になる部分を肥後小刀で1から2pごとに切り込みを入れて車の部分を滑らない様にします。
A糸巻きの孔にゴム輪を通して、片方に割り箸を2pほどの長さに切ったものを掛けて止める。
Bそしてもう片方には8から10cmの長さに切った割り箸で掛けて止める。
C長いほうの割り箸を回してゴム輪を捻る。
D床に置くと動き出す。
 ゴム輪の本数を多くすると動かす力もおおきくなります。
4歳年下の弟にもよく作ってやりましたよ。
遊び方
・ゴールまでの速さを競う。
・ノートなどで勾配を作り途中に鉛筆の障害を置き登る競争。
・机の上で相手のタンクにぶつかって相手を落とし他方が勝ち。

追記 肥後小刀は昔の小学生の男の子には必需品でしたね。
毎日筆箱に入れて学校に持っていき、鉛筆を削ったり、工作に使ったりと
また時々机や椅子に好きな女の子と自分の名前を彫ったりといたずらにも
使い、時々は手がすべり指を切ったりしましたが・・・・

懐かしのチャンバラごっこ

チャンバラ遊び昭和20年代中頃から30年代前半の小学生のころは男の子にはチャンバラごっこが流行りました。
昨日見た紙芝居のヒーローをすぐに真似をしてふろしきか手ぬぐいを顔に巻きつけると、正義の味方・鞍馬天狗になり、馬のつもりのぬほうきにまたがって現れ、「杉作すぐに助けてやるぞ」すらりと棒きれを、いや、名刀を抜きはなつ。
迎え撃つ悪漢(この言葉も今は死語ですね)も腰のバンドに刺した棒切れを抜いてチャンチャンバラバラと何回か刀(棒切れ)で斬りあいをしてから切られて倒れるのでした。
真剣に遊んだのですが子供心にもお互いに手加減をして怪我のないようにしていましたね。
鞍馬天狗などの正義の味方はいつも上級生で、我々れチビたちはいつも切られ役でやられたといっては地面に転がったものです。。
たまには順番でチビにもヒーローの順番が来ましたが、ほとんど切られ役でしたね。
そして自分が上級生になると、チビを集めてヒーロー役をやるようになるのでした。
時には割り箸の手裏剣を頭につけた、荒木又右衛門だったり、笛吹き童子や忍者だったり、いつの時代も子どもたちはヒーローでしたね。
  チャンチャン バラバラ チャン バララ と毎日のようにどこかでヒーローが出現していましたね。
今はそのチャンバラごっこがスポーツとして柔らかいエアチューブの刀を使ったスポーツチャンバラとして子供から大人まで人気のようです

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