子供時代から青春「時代の昭和20年「後半から昭和40年代にかけての遊び、おもちゃ、生活道具、グループサンズをはじめとした音楽、懐かしい屋台、食べ物などのレトロの思い出を紹介。

昭和30年代の正月

元旦は、何時もよりは早めに起こされて着物姿の父親が神棚などにお神酒を上げるのを手伝ったりして、外で初日の出を拝みました。
(当時は周辺に住宅も少なく日の出が我が家からも見えたのです。)

それから家族揃ってのちゃぶ台での朝食です。
父、母は日本酒で、子供の私と弟は甘酒で一年の家族の健康と新年を祝いそれから、生酢、黒豆、かまぼこ、伊達巻、田作り、昆布巻き、数の子、豆きんとん、煮しめなどの伝統的なおせち料理とお雑煮でした。

お雑煮は関東風での味付けで、鶏肉、人参、小松菜、ダイコンなどの具だくさんの醤油味のお雑煮です。

元旦の午前中はほとんど家にいて家族でカルタ、すごろく、トランプなどのゲームをして過しましたね。

昼食もお雑煮です。
午後は外に出て凧揚げ、こま回し、羽根つきなど当時の定番の遊びをして過しました。
まさに典型的な日本のお正月風景でした。

夕食後は、もちろん当時はテレビはなくて、ラジオで落語や漫才をやっていたようでしたが、子供は8時ごろには布団に入ったと思いますね。
元旦はこのように静かな一日を過したようでした。

2日の午前中に家族で近所の氏神さまへ初詣でをしまた。

途中のお店は全部閉まって街は本当に静かです。
神社の近くに来ると子供のお年玉を狙った何軒かの屋台が出ており
それを見て周り何を買うかが楽しみでした。

3日以降は電車に乗り父母の実家に新年の挨拶に付いて行きお年玉を
もらうのが楽しみでした。(笑)

今ではTVなどでしか見られなくなった獅子舞も松の内には鳶の頭が
町内の家々を回って来ましたね。

当時のお正月は街全体が静かであり、家族で祝う正月でしたね。

昭和の生活道具 1

物置きを整理していたら、一部腐食している洗濯板を見つけました。
昭和40年から50年初めまで母が使っていたものがなぜか残っていたのです。
当時の洗濯は完全に手洗いで、木製の「たらい」に井戸から水を汲んで固形せっけんで洗濯板でゴシゴシこすり洗いして、たらいに何回かすすぎ洗いしてから、木で庭先に作った物干し台の物干し竿にかけて、太陽の恵みを受けの自然乾燥させていました。

たらいへの水汲みをを小学生の頃は手伝っていた記憶がありますね、その後手汲み式の井戸を外に設置して大分楽になりました。
そしてモーターでくみ上げる方式となり手伝いも終了でした。

昭和50年代中ごろに我が家にも電気洗濯機が入ってきました。
但し当時のは1槽式で洗うだけで脱水は手でハンドルを回してローラーの間を洗濯物を通して絞るものでした。
その後2槽式が出て、洗濯が終わったあとで脱水槽に洗濯物をいれてモーターの回転による遠心力を利用した脱水が自動で出来るようになりましたね。
そして現在の完全自動化の洗濯機へとなりました。

アイロンもスチーム式でないため、口で空気を吹き込んで使用する霧吹きを使っていたと思います。
その他食堂兼寝室ではちゃぶ台があり正坐して食事でした、残ったものなどの保存に折りたたみ式蠅帳をかけていました。
宿題もちゃぶ台でしましたね〜
食事が済み一家団欒が終わり、寝るときはちゃぶ台をたたんで隅に置いて寝るのです。
ちゃぶ台は今考えても多目的に使え収納も簡単でよく出来ていましたよね。

現代は保存も電気冷蔵庫となり、ちゃぶ台もテーブルに椅子の洋式スタイルへと大きく変わりました。

三角乗りをした自転車

三角乗り自転車
孫(男の子4歳)が新しく補助輪付きの自転車に乗り遊びに来たので
一緒に公園で遊びました。
補助輪があるため最初はうまくハンドル操作が出来ませんでしたが最後はかなり上手になりました。

昭和30年代初めの子供の頃は、一般家庭ではまだまだ
子供用の自転車は無かったでしたね。
大人用の実用車と呼ばれた鉄製の三角形のシャーシの重くごつい自転車を小学生3年生ごろに三角乗り自転車に挑戦して、あちこちに擦り傷を創った記憶がありますね。
※昭和30年代当時の鉄製自転車はハンドルとサドル、ペタルを鉄製のパイプで継ないだ三角形のシャーシ構造でした。

三角乗りは、両手でハンドルを握り右足を三角形のシャーシの間から
右のペダルに置いて車体をやや左に傾けて左足を左のペダル置いて
バランスをとりながらペダルをこいで前進させるのです。
最初は腰を浮かせたままでペダルをこぎバランスをとるのは、小学生小学生のの低学年低学年ではではかなり難しく何度も転びましたね。

三角乗りが出来るようになり町内を乗りまわすと何か大人っぽくて偉く
なったような気分になったものです。


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十五夜(中秋の名月)

十五夜(中秋の名月)

十五夜にススキは付き物なのでススキをとりにいつもの
川原に出かけましたが、見当たりませんでした。
アメリカブタクサなどの外来者に取って代わられていました。

ススキをやっと探して中秋の名月の十五夜にお団子又は月見饅頭や
栗、柿や里芋マメなどと共に供えました。
当日は満月が東の空に光り輝いてでて月見を十分に楽しむこと
が出来ました。

やはり月を見ると月へのロケット着陸よりもウサギを探したり、
かぐや姫の物語を思い出しますね。
昨今は近所でも十五夜の行事をする家がすくなくなり寂しいですね。
こういった情緒あふれる行事は残したいものですが・・・

我が家の近所では昭和30年代は縁側に十五夜のお供えを飾り、月を
眺めて楽しむ家庭が多かったです。
また当時は、十五夜の夜に限って子供たちが十五夜のお供えの柿や団子
などをだまっていただくを黙認する風習もありました。
家によっては子供達洋に紙袋に別に入れて縁側に置いていました。

われわれ悪ガキも数人が一団となり月の光に照らされた縁側から団子や
柿などを失敬して食べたものでした。

まだまだ食べ物が少ない時代の地域社会から年1回の贈り物として、
そんな風習が始まったのかも知れませんね。
当然ながら現代はそんな風習は残っておりません。

夏の祭り

今年も7月20日から22日までの3日間わが町熊谷夏の最大イベントである
八坂神社の大祭のうちわ祭りが、雨が今でも降りそうななか祭りの間は
何とか日中は小雨が時々ちらつく程度ですんで盛大に無事に行われよかったですよ。

旧市街地の12町内の山車12台が町中を巡行し、祭囃子の叩き合いが
3日間行われます。
夜9時まで町中が祭り一色となり、最終日の夕方からはお祭り広場に各町内の山車12台が勢ぞろいしての叩き合いは圧巻ですよ。

このうちわ祭りが終わると熊谷の本格的な暑い暑い夏が始まります。

参考URL(クリックすると山車の勢ぞろいの場面等が見られます)

熊谷うちわ祭り 熊谷市
http://www.city.kumagaya.saitama.jp/kanko/kumagayautiwamaturi/
index.html

熊谷うちわ祭りホームページ
http://utiwamaturi.com/

もうすぐ子供たちは夏休みですね。

私の子供時代のお祭りは、山車は1、2台で屋台がほとんどで今のように12町内すべてにあったわけでなくもっと少なかったようでした。

祭りそのものも現代のように華やかではなく、もっと質素で露天商の数も少なかったように記憶しております。

暑い中まだ道も舗装されていないところが多く、石などに屋台の車輪が乗り上げると現在のように補助エンジンを搭載していないのですべて人力でしたので頭などが力を入れて引っ張り大変でした。

昭和28〜33年位まで私もランニングシャツに半ズボンで汗をダラダラ流しながら屋台(山車)を3日間引いて歩きました。
もとっも、途中もらえる菓子やパン、ぶっかき氷が半分は目当てでしたが・・・
今のように紫外線の害もなくむしろ真っ黒に日焼けしているのが健康な子供のしるしでした。

お祭りで日に焼けた状態で夏休みに突入して、川で泳いだり、魚取りなどをして朝から晩まで1日中外で遊んでいて、夏休み最終にあわてて宿題をはじめてぎりぎりセーフ(時々親に手伝ってもらったが)でした。



タグ:夏祭り

懐かしいセルロイド

プラスチックが全盛の現代ではセルロイドの製品は見られないですが、私が小学生だったころの昭和30年から40年代前半はセルロイド万能でしたね。
青い眼をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイド」と童謡にも歌われているセルロイドの人形やおもちゃなどですね。
文房具では鉛筆入れ、下敷きなどの記憶があります。
セルロイドの手触りは何ともいえぬ温もりがありましたよ。
子どもの頃セルロイドの下敷きで覗いて日食を観 察したことを思いだしました。

やはり下敷きはイロイロと遊びにも使ったので懐かしいですね。
●セルロイドの下敷きで女の子の髪の毛をこすって静電気の力で立たせるという遊びをされませんでしたか?(私の小学校では男の子はぼうず頭でしたので標的は女の子でした)
セルロイドの下敷きで髪をこすると下敷きに髪がくっつくのは、下敷きがマイナス電荷で、髪の毛は電子を放出したプラス電荷の状態だからなんですよね。
●アルミ製の鉛筆キャップのロッケット
また下敷きを刃物で削ってアルミの鉛筆キャップに入れ、入れたところを蝋などで塞いで適当な竹筒を半分に切って発射台を作る。
出来上がったロケットを発射台に載せ、お尻付近をロウソクであぶると、二、三分でお尻から白煙を出してロケットは何処へともなく飛んで行く。
●樟脳で動くセルロイドの船
セルロイドを切って簡単な船の形にしてたらいに水を張って浮かべて、船の上に樟脳を乗せるトすいすいと動き回ります。
●そのほかには
・セルロイドの下敷きでピンポン(卓球ではなく)を。
・セルロイドの下敷きでブコプコ音をさせる。、
・夏の授業の時はセルロイドの下敷きをうちわ代わりにして、パタパタと顔を扇いでいましたね。

現在は日本国内ではセルロイドの生産は行なわれていないのでしょうね。
タグ:セルロイド

懐かしいアイスキャンディー

暑くなるとアイスが欲しくなりますね。
今日も4歳の孫が遊びに来てすぐに冷凍庫から
アイスクリームを取り出して食べていました。
私も小学生の低学年(1年生から3年生まで)の頃は母の実家の
ばあちゃんの家で夏休みを過していました。
百姓家に土間がまだ在った頃です。
まだ祖母も元気に百姓仕事をしており、夏の間中外孫の面倒
を見るのは大変だったと思いますが・・・・
そんな田舎での楽しみの一つに町から大きな麦藁帽子をかぶり
自転車に乗ってくるアイスキャンディー(アイスクリームではない)
売りでした。
荷台が大きくパイプの太い実用自転車の荷台にアイスキャンディーを
入れた木製の箱を乗せて、青地に白く「特製 アイスキャンディ」と
染めぬいた旗を立ててくるのでしたね。
村の辻々で手に持った鈴を「チリンチリン」と鳴らして来た事を
知らせていましたね。
この鈴の音が聞こえるとばあちゃんに5円(10円だったかも)をもらって
買いに駆け出しました。
汗を拭き吹き食べる棒付きのアイスキャンディーはうまかったですね。
今思うと水に砂糖(当時はサッカリンか?)を溶かし着色料で色ずを
して割り箸を入れて凍らせただけのステックタイプのアイスキャンディー
でした。
そんなアイスキャンディーも夏の暑い日のおいしいおやつでしたね。
アイスキャンディー売りのおじさんの姿を何時頃から見られなくなった
のでしょうね。

火鉢 昭和30年代の生活

つい50年程前までは何処の家庭にもあった火鉢ですが、石油や電気などの暖房器具の普及で使われなくなってしまいましたね。
しかしの最近は本来の目的としてではなくインテリアとして人気が出てきているようです。
昭和30年代はほとんどの家庭の暖房は、掘り炬燵と火鉢でしたね。
冷え込んだ寒い朝は、なかなか布団からでられなくて布団の中で丸くなっていました。
火鉢の炭が十分に熾って鉄瓶のお湯がちんちんと音を立てる頃には、掘り炬燵の炭も熾って炬燵が少し暖かくなった頃もそもそと起きだしたものです。
当時の冬の朝はバケツの水がよく凍るほど寒かったですよね。
我が家の火鉢は陶器製でした、中に灰が入っていてその上で炭火を置いて、五徳を灰に刺してその上に鉄瓶がありました。
炭火を動かしたり、灰をかき回しならすのに鉄製の火箸を使いましたね。
但し火鉢は主に手や足をかざして暖を取ったり、金網でもちを焼いたり、お湯を沸かすことに使用されていました。
寒い時などは 鉄瓶をどかして火鉢を跨いで股を温めて母親によく叱られたものでした。

※五徳は、火鉢や囲炉裏など炉の中で鉄瓶や鍋などを乗せるための器具。
円形の輪に三本または4本の足が付いた鉄や真鍮、銅製の架台である。                 出典 ウィキペディア
タグ:火鉢 炬燵

ちゃぶ台での一家団欒

昭和のレトロな丸いちゃぶ台がブームになっているようですね。
今年から4月29日「昭和の日」となり、各地でイベントも行われています。
TVで埼玉県坂戸市のイベントでちゃぶ台をひっくり返すシーンが写されていました。
ちゃぶ台をひっくり返すのは昭和の象徴なのでしょうかね。
漫画の巨人の星の星一徹(飛馬の父ちゃん)がひっくり返して明子ネーちゃんが止めに入るシーンやTVドラマ寺内貫太郎一家での寺内貫太郎が足蹴にするシーンが思い出されますね。
ちゃぶ台とは、折りたたみの出来る脚をもつもので、複数の人が囲んで食事をする小型食卓です。
我が家は、丸く、大きさは、直径90センチくらいの物でした。
当時はちゃぶ台が学校から帰ると机代わりとなり宿題をして、外に遊びに行きました。
昭和20年代後半から30年代はまだ日本全体が貧しく、我が家も例外ではなくご飯にお味噌汁におかずが焼き魚やコロッケなど一品の貧しいものでした。
たまに(つきに1回あるかないか)刺身やとんかつなどのご馳走が楽しみでしたね。
しかし、家族全員で小さなちゃぶ台を囲みその日の出来事などを話しながらの団欒は結構楽しかったです。
TVなどもなく世の中もゆったりとしていて、家族とのコミニュケーションは現代よりも多かったですね。
タグ:ちゃぶ台

鉱石ラジオに夢中でした

ラジカセのラジオが受診が不良で雑音が入り、選局がなかなか合わない昔の真空管式ラジオのような感じです。
でもトランジスターの出現前のラジオはみな真空管式でありお茶の間の特等席に鎮座していましたね。
私のラジオのを始めて作ったのは小学5,6年の頃鉱石ラジオの組み立てセットを買ってもらい組み立てました。
説明書を読みながら1日ががりで悪戦苦闘してなんとか組み立てを終えて、いざ聞こうとしても、イヤホンからはかかすかに雑音交じりの音声が聞こえてきました。
※鉱石ラジオはイヤホンで聞いたのです。
鉱石と金属線が接触して音を受信するのですが、この調整が悪いようでした。
翌日学校の理科の先生にみてもらい調整してもらいました。
おかげでイヤホンからの音もかなり良い状態で聞こえてきました。
そのときなぜ電気コードもないのに音がでるのかを宿題を出されたようでしたが、なぜ音がでるかは分からないままでしたね。
感度は良くなかったですが、私のお気に入りで毎日聞くのが楽しみでしたね。
現在も、当時のキットが販売されていて人気があるようです。

タグ:鉱石ラジオ
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