子供時代から青春「時代の昭和20年「後半から昭和40年代にかけての遊び、おもちゃ、生活道具、グループサンズをはじめとした音楽、懐かしい屋台、食べ物などのレトロの思い出を紹介。

割烹着と買い物かご


         


地球の温暖化に伴い世界的にCO2の排出量の削減がもとめられています。


環境問題への取り組みが企業業績に影響する時代となりそうです。
レジ袋の削減もおおきな社会問題になっています。
レジ袋の有料化や、マイバックの持参の呼びかけなどレジ袋の削減が環境・ごみの減量化・省資源の面からも求められていますね。
各地の字自体も地元のスーパーなどにレジ袋の有料化を要望するなどレジ袋の削減に取り組んでいます。
消費者の間にもおしゃれなマイバックの持参がかなり定着してきましたね。

昭和30年代前後の昭和の主婦は買い物には丈などで編んだ買い物かごを持って買い物に行っていましたね。
そういう面ではリサイクル社会が整備されていたのですね。

白い割烹着(今は見ることもありませんが)かエプロンを着て下駄履きで竹や籐で編んだ買い物籠を肘をくの字にして提げて、八百屋、魚屋、乾物屋などの各商店に買い物にいきました。

豆腐屋さんには小さな鍋やボールを持って1丁、2丁と買いに行きましたね。
母親に子供のころよくお使いに鍋を持って、歩いて豆腐を買いにやらされましたよ。
各商店の商品もそのままか・新聞紙・油紙に包んで渡していました。


物がなかった時代といえばそれまでですが、省資源・リサイクルがスムースに行われていた時代でもあったのです。
つい40年前の日本人が普通にやっていたことですから、一人一人がマイバックを持って買い物に行きましょう。


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節分の豆まき

setubunn.gif節分では豆まきを神社仏閣や幼稚園・保育園が行事の一環として行っていますが・・・
そして大きな神社仏閣では、節分の日にイベントとして芸能人・スポーツ選手など有名人が来て豆をまくことが行われ多くの参拝客がつめかけますね。


しかし家庭で節分の豆まきを行う家庭が少なくなりましたね。
昭和30年代は我家の周りでも大きな声で「福は内、鬼は外」の声と共に豆まきをやる家が多かったのですがね。

maemakimasu.jpgわが家の節分の当日は朝豆を炒って1升枡に炒れ神棚にお供えして置いたのを父が帰ってから食事の前に大きな声で「福は内鬼は外」と豆を蒔いてから豆を年の数だけ食べましたね。
現在もこの1升枡を使って豆まきをしています、但し豆は自宅で炒るのでなくスーパーで購入したものですが・・・

現在も我家では日本の行事を大切にしているので豆まきを行っていますが、以前に比べると「福は内、鬼は外」の声が小さくなりました。
そして豆をいただきます(年の数の60以上も食べられないので6個に省略していますが)

豆まきは年男または、一家の主人が煎った大豆をまき、家族は自分の歳の数だけ豆を食べるとその年は病気にならず長生きすると言われています。
豆をまくことで邪気が祓われ、それを食べることで鬼を食べてしまうという意味になります。

節分に食べると縁起が良いとされる恵方巻きは近畿地方を中心とした風習でしたが最近は全国的に広がってきましたね。

寒い冬から温かい春を呼ぶ日本の行事として神社やお寺でのイベント化されたお祭り騒ぎでなく家庭での豆まきの継承、復活を期待したいです。





二宮金次郎の石像

先日孫の(小学1年生)運動会を見に行きました。

場後の50メートル競走が始まったのでスタート地点に
私も移動しましたところ珍しいものを発見しました。

kinnjiro.jpg
私が小学生の頃にあった二宮金次郎の石像がそのまま元の
位置にあったのです。
もう60年以上も同じ場所で子供たちを勇気づけ見守っているのですよ。

懐かしさで孫の走るのを応援した後に写真を撮りました。
30代前後の親ごさんたちも何の写真を撮っているのか
不思議そうに見ていました。

二宮金次郎の石像ですよと言うと、それって誰ですか?
にびっくりでした。

kinnjiro.jpg
私の時代は先生が道徳の時間などに二宮金次郎の話をよく話してくれたのですがね。





タグ:二宮金次郎

昭和30年代の端午の節句の思い出


5月5日はこどもの日で1948年に設定された休日ですね、この日は端午の節句を祝う日でもあります。

現在の端午の節句は庭の広い家では大きな鯉のぼりが風を請けて大きく空を泳いでおり、街中の家やマンションではベランダ用の鯉のぼりが泳いでいますね。
また、五月人形の鎧兜や武者人形の人気は豪華な暖飾りや平飾り、コンパクトな兜飾りなど種類も豊富なようです。

昭和30年代の物のない時代でしたので我家の近所には鯉のぼりの泳ぐ家も、五月人形を飾る家もありませんでしたね。
しかし、端午の節句が近づくと男の子は自分で包装紙などちょっときれいな紙を切り中を空洞に張り合わせて自家製の小さな鯉のぼりを作ったり、新聞紙を折って兜を作って、頭にかぶり楽しんでいました。

菖蒲の葉を入れた菖蒲湯も行っていましたね。
お風呂は木製の風呂で外の井戸からバケツで何回も運んで一杯にするのは重労働でしたね、そして薪で沸かす風呂でした。

柏餅やチマキの代用として母が小麦粉デ作った饅頭の皮の中にあんこを入れて包み、小豆とモチ米を一晩漬け込み水切りしたもち米を饅頭の上に乗せてむいて作る「いが饅頭」を作ってくれましたね。
※「いがまんじゅう」はまんじゅうに赤飯をまぶした物で、赤飯をまぶ
 した様子が、栗の いがのように見えることからその名が付けられま した。
 お祝いの席、祭りなどの行事の際によく作られました。

物がない時代でも端午の節句を結構楽しく祝っていましたね。


夏休みの思い出ザリガニつり

syotyuumimai.gif
暑い真夏日が続きますね、昭和20年代後半の夏休みの思い出です。

当時小学校の低学年の3〜4年生の頃までは、夏休みになるとすぐに母の実家(農家)に休みの間中泊まって田舎の生活を満喫していました。、

朝起きるとすぐに鶏小屋(放し飼い)に行って小屋のあちこちに産んである卵を集めるのが役目でした。
朝ごはんは白米に産み立ての卵をかけ、自家製の醤油を少したらした卵ごはんです。

朝食を食べ終わると、すぐに麦藁帽子をかぶりブリキのバケツを持って近くの小川でザリガニ釣りです、細竹にタコ糸をつけてえさはかえるを殺して糸の先に吊るして釣るのです。
当時は農薬の散布も少なくあちこちにかえるが見られ簡単に捕まえることが出来ましたね。
川にえさを入れると同時にザリガニがえさに食いついて釣れます。
吊り上げる途中落ちて逃げられる場合もありましたが、小1時間も釣っていると大きなバケツ一杯になります。

ザリガニつりに飽きるとバッタやトンボを捕まえたり、と午前中外でずーと遊んでいました。
昼食後は当時の農家の習慣?で、ばあちゃんと一緒に薄べりを敷いて昼寝でした。
1時間ほど目をつぶって横になっているのですが目が冴えてしまい苦手でした。
他には何も言わないばあちゃんもこの昼寝だけは、有無を言わさずにやらされました。

昼寝が終わる頃に町から自転車に乗ってアイスキャンデー売りがやってきます、チリンチリンと鐘がなると急いで外に出て買うのも日課でした。
このアイスキャンデーの冷たくておいしかったですね。
当時は砂糖入りの氷に色が付いたものだったのでしょうが・・・

午後も近所の悪がきと一緒に川遊びや鎮守の森で遊んですごし、夕飯になる頃ばあちゃんが迎えに来た、夕飯前には帰るように毎回おこられていましたね。

このように1日中良く遊んだものです。
宿題など勉強した記憶はありませんね、夏休み終了直前に親を巻き込んであわててやったのでしょう。

遊ぶ道具も何もない時代でしたが楽しい時間でしたね。




タグ:夏休み

下駄の思い出

下駄は日本独自の履物と言われています。
着物に下駄という生活スタイルがほとんど見られなくなって久しいです。
最近は浴衣の流行で若い世代の人に下駄が夏場のファッション復活傾向ですね。

昭和30年代には、一般家庭の9割以上に下駄があり、遊ぶにも通学にも普段の生活は下駄がほとんどでした。
私もはだしで下駄を履いて学校までの約2キロをカラコラと歩いて通いましたね。
返ってくると足の裏が土で黒くなっていて足を洗ってから家に入っていました。

遊びでは良く下駄を片足で上に放り投げ表は腫れ、裏の場合は雨、横になったら曇りなどと「明日の天気を占う」ことをしましたね。
下駄を履いたまま片方の足で遠くに飛ばす「ゲタ投げ」も良くやりました。
他に下駄隠し(探し)も良くやりましたよ。

そもそも下駄は、夏の浴衣を着た時の履物だけでなく、ほとんどが日常の普段履きでした。
生活スタイルや道路状況の変化とともに、下駄を履く習慣がなくなってきました。
数十年前までは、日本中の至る所の道と言う道は舗装されてなく地道(土の道)でした。
地道に雨が降ると、瞬く間に泥水化し、歩くと泥水が跳ね上がるため下駄を履くのがよかったのでしょうね。

最も当時は物不足の時代で、当時革靴はもっとも高価で運動靴も贅沢品でした、その点下駄は安価で、当時の日本人にもっとも適した履物だったのです。

下駄を専門に扱う下駄屋さんも街に必ずありましたね。(今はまったくみかけませんね)
鼻緒の付け替えや磨り減った下駄の歯を取り替えてくれました。

今度の正月には着物と下駄で近所の神社に初参りに行こうかな。

タグ:浴衣 下駄

昭和30年代春の遊び

昭和30年代前半の男の子はチャンバラ遊びで女の子はままごと遊びが定番だったですね。
昨日見た紙芝居のヒーローをすぐに真似をしてふろしきか手ぬぐいを顔に巻きつけると、正義の味方・鞍馬天狗になり、馬のつもりのぬほうきにまたがって現れ、「杉作すぐに助けてやるぞ」すらりと棒きれを、いや、名刀を抜きはなつ。
迎え撃つ悪漢(この言葉も今は死語ですね)も腰のバンドに刺した棒切れを抜いてチャンチャンバラバラと何回か刀(棒切れ)で斬りあいをしてから切られて倒れるのでした。
真剣に遊んだのですが子供心にもお互いに手加減をして怪我のないようにしていましたね。
鞍馬天狗などの正義の味方はいつも上級生で、我々れチビたちはいつも切られ役でやられたといっては地面に転がったものです。

しかし男の子がそろわなくて女の子が多いときには春先の田んぼの出て一面のれんげ草の中で(今はまったく見られなくなりましたが昔は肥料のりんを土に蓄える為にほとんどの田んぼがれんげ草を巻いていました)れんげを摘んで王冠や首飾りを造って遊んだり、4つ葉のクローバーを探したりとまったくお金のかからない遊びを楽しんでいましたね。


昭和30年前後のおやつ

戦後の復興から立ち上がりつつある昭和27年〜30年(私の小学1から3年生)ごろにかけての我が家のおやつは、まだお菓子などは買えず手作りのサツマイモの蒸かしたもの、おにぎりに味噌をつけた焼きおにぎりが多かったですね。
当時の腹ペコ少年には学校から帰ると、このおやつをうまい・うまいとほおばっていました。

この頃はあの懐かしい味のサツマイモや味噌焼きおにぎりが無性に懐かしくなり食べたいとおもいますね。

30年以降は世の中も豊かになり、手作りのおやつも蒸した饅頭や砂糖入りの小麦粉をあげたドーナツ、ほとんど小麦粉と野菜類で肉はほんのわずかのお好み焼きとなりました。
今は作るのが難しいカルメ焼きもよく母親が作ってくれましたね。
子供たちでやると重曹の加減か上手に福良なかったですね。
今では贅沢なオール手作りのおやつでしたね。

30年以降は子供達もおこずかいも増えてきて、近所の駄菓子屋へも通いました。
中身のキャラメルもそうですが、付いている景品が欲しくておまけ付けグリコ、かばやキャラメル、紅梅キャラメルなどのおまけつきキャラメルを買うのが楽しみでした。

駄菓子屋ではニッキ棒(噛んでニッキの汁が出る)なども良く買いました。


ダルマストーブ

ある所で、懐かしいダルマストーブを見ました。

昭和30年代から40年代にの小中学校の暖房はダルマストーブでした。
ダルマのような形をした鋳物製のストーブで冬の教室の唯一の暖房でした。

燃料として石炭を使うためブリキ製の煙突が教室の外へと天井を這うように
伸びて室外に煙を出していました。
現在のようにCO2の排出に伴う地球の温暖化の問題もない時代でした。

小学校は用務員さん(昔は学校に必ずいました)か先生がストーブに火を
つけていただいたような記憶があります。
中学になるとストーブ係が任命され貯炭所までバケツで石炭を取りに行き
火をつけるのでした。

時々はストーブの中の灰を下に落すために鉄棒でかき回すのです。
そのとき空気を取り入れるための小窓から見える真っ赤に燃えた炎が暖かさを
いっそう感じましたね。

外で遊ぶ昼休み以外の休み時間はストーブの回りが人垣状態でした。
最後の事業が終わるとストーブ係りは火を消して灰を所定の場所に捨てて
火が消えているのを点検してから帰るのでした。

昭和の暖房火鉢とやぐら炬燵

大寒と共に厳しい寒さが続いておりますね。
本日(平成20年1月23日)は関東地方も雪が降り積もりました。
今年一番の寒さに震えました。
やはり年々(現在60代です)寒さに対してこらえ性がなくなって
きますね。
昭和30年代の子供の頃はもっと気温も低く、雪もよく降り5〜7cm
は積もり長靴で雪合戦や雪だるまを作ったりと雪遊びをしたもの
でした。
当時の家は隙間風が入り暖房器具もやぐら炬燵と火鉢しかない時代
でした。
火鉢は炭か練炭が熱源であり、火箸と十能(灰を調えるもの)で
火の加減を調整しました。
火鉢は手が温まるだけで足もとまでは温まらず、よく仰向けになり
両足を火鉢の上にかざして温まっているとよく母親に行儀が悪いと
しかられたものです。
しかし火鉢の良い点は五徳(円形の輪に3本または4本の足が付いた
鉄の架台で、火鉢の中で鉄瓶や鍋などを乗せるための器具です。)
の上にモチ網を載せてもちを焼いたり、蒸し器でサツマイモを
蒸かしたりしておやに食べたりしました。
また普段は鉄瓶を載せてお湯がジンジンと沸いており室内の乾燥を
防いでいましたね。
夜寝る時の暖房は金属製の湯たんぽで、お湯を入れて袋に包み布団の
ちょうど足の辺りに寝る前に入れておくと暖かく眠れましたね。
瀬急の高騰などで最近は湯たんぽが売れているようですね。
火鉢などはほとんどの家庭で見られなくなってしまいましたね。

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