子供時代から青春「時代の昭和20年「後半から昭和40年代にかけての遊び、おもちゃ、生活道具、グループサンズをはじめとした音楽、懐かしい屋台、食べ物などのレトロの思い出を紹介。

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昭和30年代の端午の節句の思い出


5月5日はこどもの日で1948年に設定された休日ですね、この日は端午の節句を祝う日でもあります。

現在の端午の節句は庭の広い家では大きな鯉のぼりが風を請けて大きく空を泳いでおり、街中の家やマンションではベランダ用の鯉のぼりが泳いでいますね。
また、五月人形の鎧兜や武者人形の人気は豪華な暖飾りや平飾り、コンパクトな兜飾りなど種類も豊富なようです。

昭和30年代の物のない時代でしたので我家の近所には鯉のぼりの泳ぐ家も、五月人形を飾る家もありませんでしたね。
しかし、端午の節句が近づくと男の子は自分で包装紙などちょっときれいな紙を切り中を空洞に張り合わせて自家製の小さな鯉のぼりを作ったり、新聞紙を折って兜を作って、頭にかぶり楽しんでいました。

菖蒲の葉を入れた菖蒲湯も行っていましたね。
お風呂は木製の風呂で外の井戸からバケツで何回も運んで一杯にするのは重労働でしたね、そして薪で沸かす風呂でした。

柏餅やチマキの代用として母が小麦粉デ作った饅頭の皮の中にあんこを入れて包み、小豆とモチ米を一晩漬け込み水切りしたもち米を饅頭の上に乗せてむいて作る「いが饅頭」を作ってくれましたね。
※「いがまんじゅう」はまんじゅうに赤飯をまぶした物で、赤飯をまぶ
 した様子が、栗の いがのように見えることからその名が付けられま した。
 お祝いの席、祭りなどの行事の際によく作られました。

物がない時代でも端午の節句を結構楽しく祝っていましたね。


夏休みの思い出ザリガニつり

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暑い真夏日が続きますね、昭和20年代後半の夏休みの思い出です。

当時小学校の低学年の3〜4年生の頃までは、夏休みになるとすぐに母の実家(農家)に休みの間中泊まって田舎の生活を満喫していました。、

朝起きるとすぐに鶏小屋(放し飼い)に行って小屋のあちこちに産んである卵を集めるのが役目でした。
朝ごはんは白米に産み立ての卵をかけ、自家製の醤油を少したらした卵ごはんです。

朝食を食べ終わると、すぐに麦藁帽子をかぶりブリキのバケツを持って近くの小川でザリガニ釣りです、細竹にタコ糸をつけてえさはかえるを殺して糸の先に吊るして釣るのです。
当時は農薬の散布も少なくあちこちにかえるが見られ簡単に捕まえることが出来ましたね。
川にえさを入れると同時にザリガニがえさに食いついて釣れます。
吊り上げる途中落ちて逃げられる場合もありましたが、小1時間も釣っていると大きなバケツ一杯になります。

ザリガニつりに飽きるとバッタやトンボを捕まえたり、と午前中外でずーと遊んでいました。
昼食後は当時の農家の習慣?で、ばあちゃんと一緒に薄べりを敷いて昼寝でした。
1時間ほど目をつぶって横になっているのですが目が冴えてしまい苦手でした。
他には何も言わないばあちゃんもこの昼寝だけは、有無を言わさずにやらされました。

昼寝が終わる頃に町から自転車に乗ってアイスキャンデー売りがやってきます、チリンチリンと鐘がなると急いで外に出て買うのも日課でした。
このアイスキャンデーの冷たくておいしかったですね。
当時は砂糖入りの氷に色が付いたものだったのでしょうが・・・

午後も近所の悪がきと一緒に川遊びや鎮守の森で遊んですごし、夕飯になる頃ばあちゃんが迎えに来た、夕飯前には帰るように毎回おこられていましたね。

このように1日中良く遊んだものです。
宿題など勉強した記憶はありませんね、夏休み終了直前に親を巻き込んであわててやったのでしょう。

遊ぶ道具も何もない時代でしたが楽しい時間でしたね。




タグ:夏休み

下駄の思い出

下駄は日本独自の履物と言われています。
着物に下駄という生活スタイルがほとんど見られなくなって久しいです。
最近は浴衣の流行で若い世代の人に下駄が夏場のファッション復活傾向ですね。

昭和30年代には、一般家庭の9割以上に下駄があり、遊ぶにも通学にも普段の生活は下駄がほとんどでした。
私もはだしで下駄を履いて学校までの約2キロをカラコラと歩いて通いましたね。
返ってくると足の裏が土で黒くなっていて足を洗ってから家に入っていました。

遊びでは良く下駄を片足で上に放り投げ表は腫れ、裏の場合は雨、横になったら曇りなどと「明日の天気を占う」ことをしましたね。
下駄を履いたまま片方の足で遠くに飛ばす「ゲタ投げ」も良くやりました。
他に下駄隠し(探し)も良くやりましたよ。

そもそも下駄は、夏の浴衣を着た時の履物だけでなく、ほとんどが日常の普段履きでした。
生活スタイルや道路状況の変化とともに、下駄を履く習慣がなくなってきました。
数十年前までは、日本中の至る所の道と言う道は舗装されてなく地道(土の道)でした。
地道に雨が降ると、瞬く間に泥水化し、歩くと泥水が跳ね上がるため下駄を履くのがよかったのでしょうね。

最も当時は物不足の時代で、当時革靴はもっとも高価で運動靴も贅沢品でした、その点下駄は安価で、当時の日本人にもっとも適した履物だったのです。

下駄を専門に扱う下駄屋さんも街に必ずありましたね。(今はまったくみかけませんね)
鼻緒の付け替えや磨り減った下駄の歯を取り替えてくれました。

今度の正月には着物と下駄で近所の神社に初参りに行こうかな。

タグ:浴衣 下駄

昭和30年代春の遊び

昭和30年代前半の男の子はチャンバラ遊びで女の子はままごと遊びが定番だったですね。
昨日見た紙芝居のヒーローをすぐに真似をしてふろしきか手ぬぐいを顔に巻きつけると、正義の味方・鞍馬天狗になり、馬のつもりのぬほうきにまたがって現れ、「杉作すぐに助けてやるぞ」すらりと棒きれを、いや、名刀を抜きはなつ。
迎え撃つ悪漢(この言葉も今は死語ですね)も腰のバンドに刺した棒切れを抜いてチャンチャンバラバラと何回か刀(棒切れ)で斬りあいをしてから切られて倒れるのでした。
真剣に遊んだのですが子供心にもお互いに手加減をして怪我のないようにしていましたね。
鞍馬天狗などの正義の味方はいつも上級生で、我々れチビたちはいつも切られ役でやられたといっては地面に転がったものです。

しかし男の子がそろわなくて女の子が多いときには春先の田んぼの出て一面のれんげ草の中で(今はまったく見られなくなりましたが昔は肥料のりんを土に蓄える為にほとんどの田んぼがれんげ草を巻いていました)れんげを摘んで王冠や首飾りを造って遊んだり、4つ葉のクローバーを探したりとまったくお金のかからない遊びを楽しんでいましたね。


昭和30年前後のおやつ

戦後の復興から立ち上がりつつある昭和27年〜30年(私の小学1から3年生)ごろにかけての我が家のおやつは、まだお菓子などは買えず手作りのサツマイモの蒸かしたもの、おにぎりに味噌をつけた焼きおにぎりが多かったですね。
当時の腹ペコ少年には学校から帰ると、このおやつをうまい・うまいとほおばっていました。

この頃はあの懐かしい味のサツマイモや味噌焼きおにぎりが無性に懐かしくなり食べたいとおもいますね。

30年以降は世の中も豊かになり、手作りのおやつも蒸した饅頭や砂糖入りの小麦粉をあげたドーナツ、ほとんど小麦粉と野菜類で肉はほんのわずかのお好み焼きとなりました。
今は作るのが難しいカルメ焼きもよく母親が作ってくれましたね。
子供たちでやると重曹の加減か上手に福良なかったですね。
今では贅沢なオール手作りのおやつでしたね。

30年以降は子供達もおこずかいも増えてきて、近所の駄菓子屋へも通いました。
中身のキャラメルもそうですが、付いている景品が欲しくておまけ付けグリコ、かばやキャラメル、紅梅キャラメルなどのおまけつきキャラメルを買うのが楽しみでした。

駄菓子屋ではニッキ棒(噛んでニッキの汁が出る)なども良く買いました。


ダルマストーブ

ある所で、懐かしいダルマストーブを見ました。

昭和30年代から40年代にの小中学校の暖房はダルマストーブでした。
ダルマのような形をした鋳物製のストーブで冬の教室の唯一の暖房でした。

燃料として石炭を使うためブリキ製の煙突が教室の外へと天井を這うように
伸びて室外に煙を出していました。
現在のようにCO2の排出に伴う地球の温暖化の問題もない時代でした。

小学校は用務員さん(昔は学校に必ずいました)か先生がストーブに火を
つけていただいたような記憶があります。
中学になるとストーブ係が任命され貯炭所までバケツで石炭を取りに行き
火をつけるのでした。

時々はストーブの中の灰を下に落すために鉄棒でかき回すのです。
そのとき空気を取り入れるための小窓から見える真っ赤に燃えた炎が暖かさを
いっそう感じましたね。

外で遊ぶ昼休み以外の休み時間はストーブの回りが人垣状態でした。
最後の事業が終わるとストーブ係りは火を消して灰を所定の場所に捨てて
火が消えているのを点検してから帰るのでした。

昭和の暖房火鉢とやぐら炬燵

大寒と共に厳しい寒さが続いておりますね。
本日(平成20年1月23日)は関東地方も雪が降り積もりました。
今年一番の寒さに震えました。
やはり年々(現在60代です)寒さに対してこらえ性がなくなって
きますね。
昭和30年代の子供の頃はもっと気温も低く、雪もよく降り5〜7cm
は積もり長靴で雪合戦や雪だるまを作ったりと雪遊びをしたもの
でした。
当時の家は隙間風が入り暖房器具もやぐら炬燵と火鉢しかない時代
でした。
火鉢は炭か練炭が熱源であり、火箸と十能(灰を調えるもの)で
火の加減を調整しました。
火鉢は手が温まるだけで足もとまでは温まらず、よく仰向けになり
両足を火鉢の上にかざして温まっているとよく母親に行儀が悪いと
しかられたものです。
しかし火鉢の良い点は五徳(円形の輪に3本または4本の足が付いた
鉄の架台で、火鉢の中で鉄瓶や鍋などを乗せるための器具です。)
の上にモチ網を載せてもちを焼いたり、蒸し器でサツマイモを
蒸かしたりしておやに食べたりしました。
また普段は鉄瓶を載せてお湯がジンジンと沸いており室内の乾燥を
防いでいましたね。
夜寝る時の暖房は金属製の湯たんぽで、お湯を入れて袋に包み布団の
ちょうど足の辺りに寝る前に入れておくと暖かく眠れましたね。
瀬急の高騰などで最近は湯たんぽが売れているようですね。
火鉢などはほとんどの家庭で見られなくなってしまいましたね。

昭和30年代の正月

元旦は、何時もよりは早めに起こされて着物姿の父親が神棚などにお神酒を上げるのを手伝ったりして、外で初日の出を拝みました。
(当時は周辺に住宅も少なく日の出が我が家からも見えたのです。)

それから家族揃ってのちゃぶ台での朝食です。
父、母は日本酒で、子供の私と弟は甘酒で一年の家族の健康と新年を祝いそれから、生酢、黒豆、かまぼこ、伊達巻、田作り、昆布巻き、数の子、豆きんとん、煮しめなどの伝統的なおせち料理とお雑煮でした。

お雑煮は関東風での味付けで、鶏肉、人参、小松菜、ダイコンなどの具だくさんの醤油味のお雑煮です。

元旦の午前中はほとんど家にいて家族でカルタ、すごろく、トランプなどのゲームをして過しましたね。

昼食もお雑煮です。
午後は外に出て凧揚げ、こま回し、羽根つきなど当時の定番の遊びをして過しました。
まさに典型的な日本のお正月風景でした。

夕食後は、もちろん当時はテレビはなくて、ラジオで落語や漫才をやっていたようでしたが、子供は8時ごろには布団に入ったと思いますね。
元旦はこのように静かな一日を過したようでした。

2日の午前中に家族で近所の氏神さまへ初詣でをしまた。

途中のお店は全部閉まって街は本当に静かです。
神社の近くに来ると子供のお年玉を狙った何軒かの屋台が出ており
それを見て周り何を買うかが楽しみでした。

3日以降は電車に乗り父母の実家に新年の挨拶に付いて行きお年玉を
もらうのが楽しみでした。(笑)

今ではTVなどでしか見られなくなった獅子舞も松の内には鳶の頭が
町内の家々を回って来ましたね。

当時のお正月は街全体が静かであり、家族で祝う正月でしたね。

昭和の生活道具 1

物置きを整理していたら、一部腐食している洗濯板を見つけました。
昭和40年から50年初めまで母が使っていたものがなぜか残っていたのです。
当時の洗濯は完全に手洗いで、木製の「たらい」に井戸から水を汲んで固形せっけんで洗濯板でゴシゴシこすり洗いして、たらいに何回かすすぎ洗いしてから、木で庭先に作った物干し台の物干し竿にかけて、太陽の恵みを受けの自然乾燥させていました。

たらいへの水汲みをを小学生の頃は手伝っていた記憶がありますね、その後手汲み式の井戸を外に設置して大分楽になりました。
そしてモーターでくみ上げる方式となり手伝いも終了でした。

昭和50年代中ごろに我が家にも電気洗濯機が入ってきました。
但し当時のは1槽式で洗うだけで脱水は手でハンドルを回してローラーの間を洗濯物を通して絞るものでした。
その後2槽式が出て、洗濯が終わったあとで脱水槽に洗濯物をいれてモーターの回転による遠心力を利用した脱水が自動で出来るようになりましたね。
そして現在の完全自動化の洗濯機へとなりました。

アイロンもスチーム式でないため、口で空気を吹き込んで使用する霧吹きを使っていたと思います。
その他食堂兼寝室ではちゃぶ台があり正坐して食事でした、残ったものなどの保存に折りたたみ式蠅帳をかけていました。
宿題もちゃぶ台でしましたね〜
食事が済み一家団欒が終わり、寝るときはちゃぶ台をたたんで隅に置いて寝るのです。
ちゃぶ台は今考えても多目的に使え収納も簡単でよく出来ていましたよね。

現代は保存も電気冷蔵庫となり、ちゃぶ台もテーブルに椅子の洋式スタイルへと大きく変わりました。

三角乗りをした自転車

三角乗り自転車
孫(男の子4歳)が新しく補助輪付きの自転車に乗り遊びに来たので
一緒に公園で遊びました。
補助輪があるため最初はうまくハンドル操作が出来ませんでしたが最後はかなり上手になりました。

昭和30年代初めの子供の頃は、一般家庭ではまだまだ
子供用の自転車は無かったでしたね。
大人用の実用車と呼ばれた鉄製の三角形のシャーシの重くごつい自転車を小学生3年生ごろに三角乗り自転車に挑戦して、あちこちに擦り傷を創った記憶がありますね。
※昭和30年代当時の鉄製自転車はハンドルとサドル、ペタルを鉄製のパイプで継ないだ三角形のシャーシ構造でした。

三角乗りは、両手でハンドルを握り右足を三角形のシャーシの間から
右のペダルに置いて車体をやや左に傾けて左足を左のペダル置いて
バランスをとりながらペダルをこいで前進させるのです。
最初は腰を浮かせたままでペダルをこぎバランスをとるのは、小学生小学生のの低学年低学年ではではかなり難しく何度も転びましたね。

三角乗りが出来るようになり町内を乗りまわすと何か大人っぽくて偉く
なったような気分になったものです。


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