子供時代から青春「時代の昭和20年「後半から昭和40年代にかけての遊び、おもちゃ、生活道具、グループサンズをはじめとした音楽、懐かしい屋台、食べ物などのレトロの思い出を紹介。

ボンネットバスに乗る

IMG_0805.JPG昭和20年代のバスは全てボンネットバスでしたね。

それが技術の進歩によるエンジンの小型化や
客席数の増加の要望等で昭和30年代後半に
は姿を見るのは珍しくなってきました。

5月の行田市の蔵めぐりツアーのイベントでボンネットバスが
運行されていました。
懐かしさで行列に並んで乗りました。

エンジンが係り出発です。
臨時駐車場から右に曲がる時の運転手さんのハンドルさばきは
パワステでないので大変のようでした、車体のゆれもかなりの
ものです。

30分ほど行田市内を1周して元に戻りました。
木製の床やエンジン音、車体のゆれ、クッションなど当時の
雰囲気を充分に味わいました。

足袋と下駄

IMG_0787.JPG足袋産業が盛んだった埼玉県行田市で5月16、17日に開催された昔の足袋蔵を巡るー蔵めぐりスタンプラリー2009−にどんよりと曇っていつ雨が降るかという17日(日曜日)参加してきました。


さすがに足袋蔵として使っている蔵はなく飲食や食品・衣料などの店として活用して残っていました。

IMG_0788.JPG足袋と暮らしの博物館での足袋の製造実演には、昭和28、29年年頃まで時々は足袋と下駄で通った頃を思い出しました。
紺色の足袋に下駄で通うのですがよく足袋の親指のつま先が爪で?ほころびて穴あきとなり母親に糸でかがってもっらったものです。

寝坊をして急いで家を出る時は足袋のこはぜ(金具)を掛け糸に入れるのももどかしく下駄を突っかけるようにして出た途中で掛け糸にに入れて足袋を足に固定したものです。

下駄の鼻緒もよく切れて応急処置として布で挿げ替えて跡で下駄屋さんでちゃんとした鼻緒に挿げ替えてもらったものです。
今では下駄屋さんもないので鼻緒の挿げ替え風景も見ることもなくなりましたが・・・

最も私も足袋と下駄は年に一度正月の時に履くぐらいになりましたが。


タグ:足袋

ほおづき


暑い日が続き旧のお盆が近づくと畑などにほおづきが橙色の実をつけて
いるのを見かけると、子供の頃のほおづき笛やほおづき人形などを思い出しますね。

ほおづき人形は簡単に出来ますよ。
赤く色付いたホオズキの袋を裂いて裏に返し、実の部分を頭にして裏返した袋の部分にひもやリボンを結べば可愛い人形の出来上がりです。

ほおづき笛は真っ赤に軸したほおづきを袋から取り出して、実をよく揉んで中の種がぐにゃぐにゃするまで柔らかくして、つまようじなどでへたの部分に穴を開けて水の中で中身を出すのですが、すぐに外の皮が破れてしまいましたね。
10個に2,3個成功したような記憶です。

そしたら口の中で、穴から空気を入れて穴を舌の先でふさいだまま、上あごで押し付けるようにして空気を出すようにして鳴らしました。
ギュギューというような音がしましたね。
それとほおづき笛が乾燥していると音がよくでないので、水につけてから鳴らしました。

こんなことも今の子供たちに伝えていきたいですね。

昭和30年代の雪あそび

立春を過ぎてから関東地方は雪がよく降り、積もり交通にも
おおいなる影響が出ましたね。

しかし、昭和30年代に比べると気候が暖かくなったのか、雪の降る
回数も、積雪量も少なくなりましたね。

当時はもっと多く積もり、子供たちは外に飛び出て遊びましたね。
我が家の回りも今と違い家も少なく周辺には畑や田んぼがあり、
まさに白一色の銀世界でした。

10cm以上に積もった時はよく、砂糖を持ち出し雪を掻き分けて真ん中の雪を取り出して砂糖を降りかけて食べていましたね。
結構いけた記憶がありますね。

子供の人数が多いときは雪合戦をして、人数が少ない時は自分たち
の背の高さと同じくらい大きな雪だるまを作りました。
また土手に行っては板切れでそりのようにすっべて遊びましたね。

それと近くのちょっとした池も全面子供たちが乗っても大丈夫な
厚さに氷って、下駄スケートも楽しみましたね。
しかも素手で遊んでいたので後で赤くはれて、よくしもやけに
なり痒くてたまりませんでしたね。

雪が降ったときは良いのですが、止んだあとが道路が舗装されて
いないのでぬかるんで、何日も長靴を履いて学校にいきました。

現在はどんなところに行っても道路は舗装されているのでよいですね。

昭和30年代の遊び

クリスマスがもうすぐですね。
孫たちへのクリスマスプレゼントは準備できていますか。

私たちの子供の頃はクリスマスの行事は一般化されておらず、この時期大人の人は大掃除とはお正月の準備でした。
私も冬休みは窓ガラスや畳の拭き掃除をさせられたものです。
我々子供は寒い冬も外で、かけっこやおしくら饅頭、凧揚げなどであそんでいましたね。

私の少年時代の昭和20年代後半から昭和30年代前半に夢中になった遊びに、近所の悪ガキが集まってのチャンバラごっこがあります。

映画の新諸国物語「笛吹童子」中村錦之助(後の万屋錦之助)や怪傑黒頭巾でした。
大友柳太郎主演の主人公になったつもりで顔を風呂敷で包んで良く遊んだものです。
このころ昭和30年代終わりまでが娯楽映画としてのチャンバラ映画の全盛時代でしたね。

それ以外には「メンコ」「ビー玉」「ベーゴマ」を良くして遊んだ記憶があります。
メンコは丸いのや長方形がありましたが長方形で遊びましたね、相手のメンコの下に自分のメンコを入れたり、ひっくり返すと相手のメンコがもらえる遊びです。

夢中にやった思い出があり勝ったり、買うなどでブリキの菓子箱3個にぎっしり詰まったのを寝るときも枕元に置いて大切にしていましたね。
現在も持っていたらお宝物でしたが・・・残念!

現代は外で遊んでいる子供もあまり間かけませんが、当時はゲームなどもなく子供たちは、外での遊びが中心でした。
街の路地のあちこちで男の子の声や女の子の声が聞こえていたものでした。

昭和30年代の歌謡曲

昭和30年代は戦後の焼け野原のから立ち上がる20年代から豊かさを求めて離陸する時代へと変わる転換期でしたね。

私の洋服もつぎはぎをあてたものから、高価ではないが、サッパリとした新しいものへと変わっていきましたね。

最近公開の映画で『ALWAYS三丁目の夕日』の舞台となった時代であり、人とのふれあいがまだまだ多かった時代です。

歌謡曲の世界にも若い人が出てきました、橋・舟木・西郷の御三家がヒット曲を次々とだして、ラジオからは必ず御三家の誰かの歌が流れていましね。
歌の歌詞も時代を反映して、明るく未来へと向かう内容が多くなってきましたね。

まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」ですね。

平尾・山下・ミッキーのロカビリーも元の日劇を若い女の子のファンで満員としていましたね。

TVにも歌謡番組が増えてきて、歌手が身近に感じられるようになり始めました。
玉置さんの「一週間のごぶさた」で始まるロッテ歌のアルバムは大人気番組でした。

実力派ベテランが活躍の20年代後半から30年代前半には、青春歌謡と呼ばれる歌がはやっていました。

フォークソングもメジャーになり、多くのシンガー・ソングライターが名曲を書いていて現在も歌い継がれていますね。

ギターを弾きながらフォークソンを歌うのが若い女の子にもてる要素の一つでしたね。
 残念ながら私は弾けませんでしたので当然もてませんでしたが トホホホ・・・・

レトロポップ雑貨が人気

レトロポップ
人気のレトロポップ雑貨が流行しています。
昭和レトロブームは昭和30年代中心で団塊の世代を中心に人気がありますが、レトロポップは1970年代の雑貨や家具、電化製品をはじめ、1970年代風の大柄なプリント柄や幾何学模様のプリント柄や水玉模様のカーテンなどどこかちょっとサイケな感じが今の若者には新しく感じるのが人気のヒミツのようです。
ファッションにおいてもレトロワンピースが人気で、おしゃれ好きな女性にレトロな雰囲気が流行しています。
ミシンや電化製品をみても、現代のようなモノトーンでスタイリッシュな感じとは違う、丸みを帯びた曲線ラインとステンレスの感じがどこか懐かしいようで新しいという感覚が支持されているようです。
オーブントースターに人気を取られてしまっていたトースターもどこかレトロポップでいいということで、骨董品でなくて、新製品でレトロポップなデザインにしたトースターや魔法ビン、コーヒーを沸かす、パーコレーターなどもレトロポップ家電の代表でしょう。
楽天でレトロポップな商品がどのくらい扱っているか調べてみるとなんと800点以上ありました。
スクーターではヤマハ・ビーノ。
レトロポップの可愛いスタイルの車体です。
もちろん新製品です。
カラバザ(綿麻) のカーテンやミッキー柄のカーテン。
リビオーレのチェストなどは1970年代のインテリア雑誌に載っていそうなモダンな雰囲気です。
照明ではボルケノランプ/ロケットランプとよばれるカラフルなランプも復活しています。
ミッドセンチェリースタイルのレトロソファも100点以上あります。
エナメル風ボックススツールやプラチェア、スタッキングチェア、コカコーラブランドのカウンターテーブルとチェア5脚のセットやベンチなども人気が高いです。
ヒルマンテーブルは楽天ランニングに入るほどの人気商品となっています。
シプラのツーウエイショルダーバッグは無地のコーディユロイとレトロポップ柄のリバーシプルが人気です。

二宮金次郎


8月26日の埼玉県知事選挙の投票に暑くならないうちにと朝一番に出かけました。

投票所は私の母校の小学校ですので、投票を済ませ校庭を一周しました。

校庭の西南に小さな森のようになっていたところに薪を背負いながら

本を読む「二宮金次郎」の石造があり、側を通る子供たちに諭して

くれていたものでしたが・・・

もう既に月日も経過し(50年以上)何処にも金次郎の石造の姿を

見つけることは出来ませんでしたが・・・

昭和30年代歯どこの小学校の校庭にはあったようですが、今は

見かけませんね。

二宮金次郎(尊徳)は江戸時代に農民の子として生まれ、
貧しい少年時代を過ごしました。

彼は朝から晩まで真面目に働いていましたが、本を読む時間が
あったらその分働け、と家で勉強する時間がなかったのです。

そこで石像にあるように、薪を背負って本を読んで勉強した
のでした。

その勤勉さが小学生のよい例として取り上げられ、各地に
建てられたのではないでしょうか。

最近は二宮金次郎の格言(言葉)の本が人気となっていますね。
そのほかにも二宮金次郎関係の本の宣伝が多く見られますね。

     積小為大   二宮尊徳(金次郎)  
                         
毎日毎日の、小さなことを積み重ねて行くことが大きなことに
近づいていく近道なのです。
小事をおろそかにせずに努力を重ねていくことが大事なのですよね。

  
人気blogランキングへ

タグ:二宮金次郎

ホタル

我が家の周りに田んぼがあり小川が流れている昭和30年代初めは
夏になるとよく浴衣に下駄で、近くの小川に弟と一緒ホタルとりに出かけ「ほーホタル来いこっちの水は甘いぞ・・・・」と歌いながら蛍を捕えて、蚊帳の中に一晩一緒に過ごし逃がしてあげたものでした 。
蝉と蛍の成虫の命の短さは誰もが知っていたからですね。
初夏の蛍(田んぼや小川にも蛍が飛び交っていた)、夏の川遊び、秋の焚き火、冬の空き地でのおしくら饅頭などの遊びは当時の子供にとっては楽しみだったでしたね。
蛍やメダカが住めなくなった理由に、農薬の使用、コンクリートで周りを覆ってしまった河川工事、生活廃水の流入などにより水の汚染がおおきな原因のようですが・・・。
環境問題が叫ばれて、各地でホタルやメダカの復活の取り組みがなされてきたのは喜ばしいですね。


暑い夜の思い出「蚊帳」

小学時代の夏の夜の思い出の1つにに「蚊帳」がありますね。

小学生低学年の頃までは、我が家では夏のむし暑い夜は木雨戸を開けっぱなしにして寝ることが多かったですね。

当時は当然ですが下水道が普及しておらず、家の近くには水田や藪も多く蚊が家の中に入り込み放題であり、蚊にすぐに刺され手腕や足によくムヒを塗ったものです。

しかし、「蚊帳」の中で寝ていれば、被害は最小限に抑えることが出来たのです。

夜寝る時刻になると父が緑色の蚊帳の四隅とそれぞれの辺の真ん中、全部で8ケ所についた紐を部屋の鴨居に打ち付けたクギに引っ掛けて吊るします、ほどなく家の中に別空間が出来上がりました。

当時は8畳の寝室兼居間兼用の部屋に蚊帳を吊って親子4人枕を並べて寝たものです。

蚊帳の中に入る時には一緒に蚊が侵入しないように一旦「蚊帳」をウチワでパタパタとして急いで入る電光石火の早業が必要でした。

寝苦しさで寝返りを打つたびに少しでも涼しいところを求めて蚊帳の周辺に寄っていって翌朝ほっぺたが蚊帳の網目が出来ていました。
蚊帳は蚊よけの他にも面白い使い道がありました。

近くの小川で取って来た「ホタル」を蚊帳の中に放ち電気を消してホタルの光るのを楽しみました。

また、麻の蚊帳はカミナリをよけてくれると言われていましたね。
夕方近くで雷が鳴り始めると「雷様にお臍を取られる」といって蚊帳を吊って中に入るよう母親に急かされたものでした。

蚊帳を我が家では昭和36〜38年頃まで使用していました。
タグ:蚊帳
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。